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リンケージ藤波

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鈴木歯科医院
院長
鈴木 司郎

1953
神奈川県横浜生(1歳半まで)東京育ち
1978
東京歯科大学卒業、東京医科歯科大学大学院
1981-1982 
オハイオ州ケースウエスタンリザーブ大学研究員
1982
歯学博士、東京医科歯科大学補綴学教室
1984-1992
昭和大学歯学部補綴学教室 講師、助教授
1992
アラバマ大学バーミングハム校 バイオマテリアル学教室客員準教授
1993-1997 
同上 修復学、バイオマテリアル学教室 準教授
1997-2003 
同上 教授
2003-2006 
同上 補綴学教室 教授
1999-2006 
テネシー州メヘリーメディカル大学歯学部 客員教授
2000   
日本大学歯学部 客員教授
2000-2006
藤田衛生大学 客員教授
2003-2006
東京歯科大学、日本歯科大学 客員教授
2006より
アラバマ大学歯学部 客員教授
2006より
鈴木歯科医院開業

資格
 歯科医師免許 歯科医籍 第73780号) 
 日本歯科補綴学会専門医(第1054号)
その他
 少林寺拳法五段




己こそ己の寄るべ

 近年の歯科医療の多様化は実にめまぐるしく、絶えず新しい情報や技術が導入されておりますが、それに追いついていくのも並大抵なことではありません。大学卒業以来転々とはしましたが、ずっと大学に在籍していたので新しい情報を得るのには苦労しませんでした。
 しかし開業するとそうはいかず、世間から取り残されてしまいそうな恐怖感すら覚えることがあります。そんな時何に頼ればいいのでしょうか?学会参加?講習会?勉強会?どれに参加しても自分に吸収する気持がなかったら効力を発揮しません。
小生が大学入学とともに始めた少林寺拳法では単に力を身につけることや拳法の技術だけを学ぶだけでなく、仏教の教えを実践すべく、門下生に人としての心の強さを養うことを教えています。
 その中の一つに「己こそ己の寄るべ、己をおきて誰に寄るべぞ、よく整えし己こそ、誠得がたき寄るべなり」という言葉があります。
 この世の中一人で生きていられる道理はありませんが、人に頼ってばかりで生きていける筈もありません。自分がしっかりしていなければ自分の進むべき道を失い、迷ってしまいます。この情報過多の時代に我々が自分を見失わず生きて行く為には、まさに己をよく整え寄りどころにすることが肝心でしょう。そうすれば世間がどう変わろうと対処できると信じています。明日は今日より少しでも良い自分にしようという気持を持って生きていけば人生楽しいものになるでしょう。
 歯科医師過剰でどうやって生き延びるかばかりを心配するよりも、患者さんから感謝されることの素晴らしさを噛みしめながら毎日を過ごせるこの仕事に、喜びと誇りを持って生きていきたいものです。


格好良さを求めて

 今までの自分の人生を振り返ってみると、知らないうちに格好良さというものばかりにとらわれて生きて来たんだなあ、と感心してしまいます。
 誰でも自分にないものに憧れ、気持だけでもそれに近づこうとするのでしょうが、小生の場合、子供の頃はプロレスの力道山に惹かれ、高校の時にバディリッチ(ジャズドラムの大御所)に憧れ傾倒し、大学では少林寺拳法を始め、大学院では語学に芽生え将来は絶対に留学するんだと決めていました。
 研究に携わる時間が長くなり、自分の分野ができてきます。大学での地位も上がっていき、気がついてみるとアメリカで教授になっていたようなわけですが、全てがこれをやったら格好いいと思う自分勝手な思い込みから始まっていたものと思われます。
 格好も何も考えず無心になってやっていたことと言えば子育てぐらいなものでしょう。子供さえ立派に育ってくれれば自分なんかどうなってもいいと思いつつ、結局はそれを支えなければいけない自分が居るわけでどうにも大変です。自分の子供には受験戦争の犠牲者になって欲しくない、それよりも国際感覚を持った人間に育てたいと強く思っていたので、アメリカ就職は願ってもない機会でした。
 3人の子供は3年経つと父親より達者な英語を喋りだし、人間の適応力の強さに感激しました。しかし日本語の方がおぼつかなくなり、それを憂慮した母親は一念発起して5年後に娘二人を連れて帰国しました。日本とアメリカの長距離別居です。
 残された息子との二人の生活は誰もが想像する通りです。その後息子はコーネル大学に入学し、ついにアラバマに一人になってしまいました。それでもくじけず教授になりました。
 息子はアラバマ大学医学部に進みまた二人の生活が始まりましたが、それも4年経ち卒業となり、いよいよ決断の時となりました。
 小生自身は帰国したいのですが、大学での責任を考えると簡単には辞められません。息子に告白しました。「お父さんは格好いい存在で居たいんだ。今アメリカの教授という鎧を着て生活しているからこそ存在しているが、それを辞めたら何でもない人になっちゃって格好悪いじゃん。それを考えると簡単に帰国できないんだ」と。そこで返した息子の言葉に衝撃を受けました。
 「教授の職を捨ててお母さんのもとに帰ることができたら、僕はお父さんのこと世界中で一番格好いい人だと思い続けるから」と。全く考えたこともなかった格好良さでした。今の自分は鎧も脱ぎ、見た目は格好悪い野武士の様なものなのでしょうが、息子の言った一言に潔く方向転換ができた自分には最高の格好良さが残っている様な気がしています。



来月は小川歯科医院
小川克昌先生にリンケージします。





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